闘病日記Vol9(2000/1/26)

ついにやってきました。リハビリ開始の日が。
根性入れて、気合入れて「さぁ、どっからでもかかって来い」状態でずっと待ってました。
午前中、どうも先生の都合で水曜日普通は午後の治療になるようです。午後を待ちます。
13:00。リハビリの開始です。続々リハビラーがリハビリに向かいます。 私も今か今かと手ぐすね引いて待ってます。
14:00、15:00、16:00時は過ぎていきます。
気合は入りまくりついには噴火しそうになったそのときです。
「えんどうさ〜ん、先生の都合でリハビリは明日からでお願いしま〜す。」
とモニターからのそっけない連絡。
思いっきり力抜けました。「たぶん、先生忘れてたんだよなぁ」
部屋の住人は皆その意見です。ただ一人90を除いては。。。

今日も90はマイペース。
今日は看護婦さんから先制攻撃がありました。 「おじぃさん、シャワーあびよっか」。90はすかさず
「いや、いい」。
看護婦さんも負けじと「臭いから入ろう」。
いや、いや、看護婦さんと一緒にお風呂に入れるなんてラッキーじゃないですか、おじぃさん。 ま、看護婦さんは脱がないけどね。
で、看護婦さんの必死の説得に90も観念して「じゃ、入ろうか」と。 これが、午前10時頃。
それから待てど暮らせど看護婦さんからシャワーのお誘いは無い。 でも、今日は90、おとなしかった。文句を言わない。
結局15:30頃、「おじぃさんシャワーはいろっか」の声。 おじぃさん、すかさず言いました。
「もう、今日は入れてくれんのかと思ったわい。 ま、看護婦さんの機嫌のいいときに言うこと聞いておかなんだら次いつ入れてもらえるやわからんからの。 入れてもらおうかの」。
普段ボケてても言うことはっきり言うわ、このじぃさん。

もうひとつ面白い話題。
90、いつもいつも戦争の話をする。 「大変やった、でも、昔の人のほうが偉い」こんな内容のことを延々喋ってくれる。
で、昨日、息子さんが来てた。
ま、息子さんといっても既に定年を2年後に控えたおじさん。
90が便所に行ってる時No2と私と話が弾んだ。で、爆弾発言
「でもね、じぃさん、戦争行った事無いんですよ。ほら、航空機の方にいたからね。 行かなくてすんだんですよ。」
偉そうなこと言っておいて、結局行ってないんかい。なんちゅうやっちゃ。やり手やな。

今日はNo2もがんばってた。
いや、何を頑張ったって入院をちょっとでも長引かそうと頑張ってた。
病院というと言うところはお客(患者)を少しでもさばかないといけないので、 とにかく入院患者には早く退院して欲しい。
で、両足歩行の出来ている人なんかは格好の的。No2も例外じゃない。
でも、No2も両足歩行が出来るといっても生活にはまだまだ支障がある。 退院するのは非常に不安。見ていても不安。 でも、病院は早く出て行って欲しいもんだから「**さん、もう大丈夫。レントゲンも綺麗だし、 血液検査も大丈夫。退院しないかい?」なかなか言うことは言う。
「でも、先生、6日までは大丈夫って言ったやないかいな」
「ごめんなぁ、正直言って詰まってんねん。患者さんが。 昨日もなぁ大腿骨を骨折している人に痛かろうけど部屋が無いから帰ってもらったんや」。
こんな事言われたらNo2も「。。。。。」。
「殺し文句やね」といったら「そうやなぁ、殺し文句やなぁ。」って。
結局それでも友引の2日までは退院を延ばしてもらったそうな。 言わなければ月末にも帰される気配だったそうな。
病院というところも大変だねぇ。
「さぁ、退院の準備でもすっかな」なんとなくNo2の背中が寂しかったです。
「家に帰ったらなぁ、『あーしんどい』って言ってすぐに転べないやろ。つらいなぁ」
その言葉、身にしみます。

あ、他人事じゃないのか。そうならないように鍛えておこう。
でも、そうなるとますます退院が早くなるのか?困ったね。 検査結果で動かぬ証拠を見せ付けられるからなぁ。。。^^;

とりあえず、明日のリハビリのために休もう。おやすみなさい。


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